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東京高等裁判所 昭和29年(う)1700号 判決

控訴人 被告人 小川定吉

弁護人 平野利 安藤国次

検察官 池田貞二

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年に処する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

押収にかかる小刀一ちよう(東京高等裁判所昭和二十九年押第六二五号の一)はこれを没収する。

原審及び当審の訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人平野利及び弁護人安藤国次の各作成名義にかかる各控訴趣意書記載のとおりであるから、これらをここに引用し、これに対して次のとおり判断する。

平野弁護人の論旨第一点及び安藤弁護人の論旨第一点について

原判決がその理由において、「被告人は昭和四年二月一日国鉄千葉電力区に電工として勤務し、同二十四年頃稲毛変電区技工となつたものであるが、その妻タカが同二十二年頃から煙草、飴菓子、果物等の販売業を営み、運動会や祭日等の人の集まるときには露店を出していたので、被告人も勤の傍らその手伝いをしていたところ、タカが同二十八年十一月三日千葉県千葉郡椎名村大字椎名崎三山神社で行われた通称「おぼんでん」と云う供養塚祭典に露店を出したので、被告人は当日もその手伝いをし、物品約四万数千円を売上げてその売上金をも含めて現金五万数千円と売残り商品や屋台道具などを牛車に積み込み、手伝人の長谷川松夫がその手綱を牽き被告人は後から歩いて帰途についたのであるが、同日午後六時頃同郡椎名村字堤前三十六番地先道路上において、石井清(本件死亡当時満二十年八月)、今井篤二郎、杉井一男等が自転車のライトの故障のため屯していたのを追い越したところ、突然石井から「野郎待て、今何か云つたろう」と云つて呼び止められたので、被告人は牛車を止めてその右側に来ていた長谷川に対し「松ちやん何か云つたかい」と聞いたが、同人が「何も云わない」と答えるや、同人はいきなり石井から殴られ更に今井から絡み付いてこられたので、両名はもみ合いながらもつれて牛車の後方に離れてしまつた際、被告人は矢庭に石井から左肩を掴まれ牛車の車輪の方へ引つ張られ、そこで「金を出せ」と脅かされた上いきなり右手の拳固で鳩尾を一突きされたため二、三歩後へよろめき、被告人はこの突然の侵害を受けて、突嗟に所持していた前記現金を奪取されるものと感じ、石井のこの急迫不正の侵害に対し自己の所持していた金員を奪われるのを防ぐため、その日リンゴの皮剥きに使用した所携の刃渡り約三寸三分位の小刀(昭和二十九年領第十一号の一)を右手に持つて反撃を加えたが、昂奮の余り防衛の程度を越え、右小刀で同人の右下腹部を突き刺し、そのため同人のその部位に長さ約三糎深さ約七糎の刺創を負わせて小腸切創、腸管動脈切断の傷害を与えて同人をその附近に昏倒させ、因つて同日午後八時五十五分頃千葉県市原郡菊間村古市場五十三番地武田診療所において同人を右傷害によつて出血に因り死亡するに至らしめたものである。」との事実を認定判示し、これに対し刑法第二百五条第一項を適用した上、過剰防衛として同法第三十六条第二項、第六十八条第三号を適用処断していることは、各所論のとおりであつて、各所論はいずれも、右は事実を誤認したものでありその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである旨主張するにより、記録並びに原審において取り調べた証拠を調査し且つ、当審における事実取調の結果をも参酌して、事実関係を検討考察するに、前掲原判示事実のうち、被告人が石井清から「金を出せ」と脅かされたとの点、並びに被告人が右石井に対し所携の小刀で反撃を加えたのは、自分の所持していた現金を奪取されるのと感じ、これを防ぐためであつたとの点を除いたその余の部分は、すべて、原判決援用の証拠によつて十分にこれを肯認することができるのであるが、右の二点については、原判決の挙示する証拠によつてはこれを認めることができないのである。もつとも原判決の挙げている被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の供述記載中、並びに被告人の原審公廷における供述中には、右の二点について原判示に符合する部分が存在するのであるが、しかし、これらの部分は、他にこれが裏付となるような証拠が全然存在しないこと、及び被告人の司法警察員に対する最初の供述調書が昭和二十八年十二月六日附であつて、本件の被害発生より一箇月余を経過していること、並びに証人今井篤二郎、同杉井一男、同長谷川松夫の原審公廷における各証言の内容等と対照して考えるときは、たやすくこれを信用することができない上に、右の二点については、他にこれを認めるに足る証拠を発見することができないのであるから、原判決は、結局右の二点について、信用すべからざる証拠を信用した結果、事実を誤認したものというべきであつて、しかも、右の二点が認められるか否かによつて、被告人の所為に対し、「盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律」第一条の適用があるか否かの差異が生ずる筋合であるから、原判決における右の誤認は、判決に影響を及ぼすことが明らかな場合にあたるものといわなければならない。してみれば原判決は、この点において到底破棄を免れないものというべく、従つて、原判決の事実誤認を主張する各論旨は、いずれも、その主張の内容たる誤認の部分について右の説示と相違するところがあるけれども、その結論においてはこれと一致する訳であるから、結局いずれもその理由があることに帰する。

よつて、爾余の各論旨に対する判断を省略して、刑事訴訟法第三百九十七条第一項、第三百八十二条に則り原判決を破棄した上、同法第四百条但書を適用して、更に次のとおり自ら判決する。

被告人は、昭和四年二月以降国鉄千葉電力区に電工として勤務し、昭和二十四年ごろ同稲毛変電区技工となつたものであつてその妻タカが昭和二十二年ごろから、煙草、飴菓子、果物等の販売業を営み、祭日等の人の集まるときには、露店を出していたので、被告人も勤の余暇にその手伝をしていたところ、昭和二十八年十一月三日千葉県千葉郡椎名崎三山神社で行われた供養塚祭典に、タカが露店を出したので、被告人は、当日もその手伝に行き、夕刻になつてから、その売残商品や屋台道具など牛車に積んでこれを手伝人の長谷川松夫にひかせ自らはその車の後から歩いて共に帰途についたのであるが、同日午後六時ごろ、同郡椎名村字堤前三十六番地先道路上に差しかかつた際、たまたま石井清(当時満二十年八月)今井篤二郎、杉井一男らが自転車のライトの故障のため道端に屯していたのを追い越したところ、突然右石井から「野郎待て、今何かいつたろう」と呼び止められたので、被告人は、牛車を止めてそのかたはらに来ていた前記長谷川に対し「松ちやん何かいつたかい」と聞いたが同人が「何もいわない」と答えるや、同人は、いきなり右石井から殴られ、更に前示石井から組みつかれたため、両名でもみ合いながら牛車の後方に離れてしまつた際、被告人は、矢庭に石井から左肩を掴まれ、牛車の車輪の方え引つ張られた上、いきなり右手の拳固で鳩尾を一突きされる等の暴行を加えられたのでこの急迫不正の侵害に対し自己の身体を防衛するため、当日リンゴの皮むきに使用した所携の刃渡り約三寸三分の小刀(東京高等裁判所昭和二十九年押第六二五号の一)を右手に持つてこれに反撃を加えたが、防衛の程度を越えて、右小刀で同人を突き刺し、同人の右腹部に長さ約三糎深さ約七糎の小腸切創、腸管膜動脈切断の傷害を負わせ、因つて同人をして、同日午後八時五十五分頃、千葉県市原郡菊間村古市場五十三番地武田診療所において、右傷害に基く失血に因り死亡するに至らしめたものである。

〈証拠説明省略〉

法律に照すと、被告人の判示所為は、刑法第二百五条第一項に該当するが、過剰防衛であるから、同法第三十六条第二項を適用して、同法第六十八条第三号により、法律上の減軽をした刑期範囲において、被告人を懲役三年に処し、なお、その情状により、同法第二十五条第一項を適用して、この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予し、押収の小刀一ちよう(東京高等裁判所昭和二十九年押第六二五号の一)は、本件犯行の供用物件であつて、犯人以外の者に属しないから、同法第十九条第一項第二号第二項本文に則りこれを没収し、原審及び当審の訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に従い、全部これを被告人に負担させることとする。

弁護人らは、被告人の本件所為は、自己の生命身体又は財産権の侵害に対する正当防衛行為であるから罪とならないものである旨主張するけれども、何ら兇器等を持つていない被害者石井清の判示暴行に対する防衛の方法としては、判示のような刃物をもつて同人を突き刺すまでの必要はなかつたものと認められるから、判示小刀をもつて同人の下腹部を突き刺し、これを死に至らしめた本件行為は、明らかにその防衛の程度を越えたものというべく、従つて、弁護人らの右主張はこれを採用しない。なお、平野弁護人は、被告人の本件所為については、「盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律」第一条第一項または第二項の適用により罪とならないか、または処罰すべからざるものである旨主張するのであるが、しかし、右「盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律」第一条の規定は、その第一項または第二項いずれの場合においても、同条第一項第一号ないし第三号中のいずれかの事実が客觀的に現存する場合に限つて適用があるものであつて右第一号ないし第三号所定の盗犯又は、不法侵入の事実が客観的に現存しないにかかわらず、現存するものと誤信して防衛的加害行為に出たような場合には、これが適用はないものと解すべきところ、これを本件についてみるに、被害者たる石井清から被告人に対し、原判決の認定したような「金を出せ」などといつて、金銭を要求するような言動のあつた事実を認めがたいことは、既に弁護人らの各論旨第一点に対する判断において説示したとおりであつて、本件においては、右「盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律」第一条第一項各号の事実が客観的に現存しなかつたものであるから、所論のような同条第一項または第二項の適用の問題を生ずる余地がないものというべく、従つて同弁護人の右主張もまたこれを採用しない。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 中西要一 判事 山田要治 判事 江碕太郎)

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